―意味などない。
―意味などないんだ。

彼は、冷めたブラックコーヒーを一口ずつ神経質に口に含むたびに、薄いくちびるをほとんど動かさずにそう呟く。 コーヒーが熱いわけでもないのに、彼は小さじ一杯ほどのコーヒーを口の中で舌を使ってぐるりと回し、大層難儀だというように、ごくりと喉を動かして胃へと押し込む。 そのたびに、彼の剥製のような顔がくしゃりと潰れ、乱暴に切り開いたような目をつらそうに細め、眉間に1本のしわを作る。
彼の筋張った、土気色の水気のない首がそうして動くたびに、わたしは彼を嫌悪せずにはいられなかった。 彼の態度が気に入らないわけではない。彼の立ち振る舞いが気に入らないわけではない。

(でさ、)

わたしは彼の口癖のあとに、いつもこう付け加える。そして、こう続けるのを楽しみにしている。

(どうしたいの)

そのとき、彼は決してわたしを見ない。外のねずみ色の空を水面に映し出すコーヒーの、その中でふわりと揺れながらいる自分の乾いた顔を見つめ、ひび割れたくちびるを 舌で潤し、ごくりと唾液を胃へとねじ込むのだ。

―すまんが、まだコーヒーはあるかな。

彼はやはりくちびるを動かさず、決まってそう言う。
この瞬間にわたしの心臓に染み渡る、なまあたたかい、とろりとした液体の感覚は、わたしにはなんとも言えぬ快感なのだ。
彼のアルミ製の古いマグカップを持つ手が、小刻みに震える。薄皮のような小鼻が、膨らんだり縮んだり、酸素を求めている。 見開かれたガラス球のようなやけに水っぽいにごった目玉が、落っこちそうだ。短い睫はぴりぴりと緊張している。
マグカップを握り締めている手は、生気を帯びた黄色へ、指先は、人間らしく血が集まって、赤い。

(まだ、入ってるでしょう)

かん。
乾いた音を立て、そのマグカップにはまた一つ不恰好なくぼみが出来た。